「…何…?まだ眠いから……寝かせて…」
「ダメですよ〜!起きて下さい〜!」
「だって………まだ、朝早い…」
寝起きが悪いというわけじゃないけど、流石にこんな朝早くから意味もなく起こされると少し不機嫌にもなる。
それでもラミィは諦めないのか、肩に乗っかって服を引っ張ってきた。
「あと五分でもいいから…」
「早くしないと間に合わないんですよ〜!」
意識が沈む。遠くから聞こえるラミィの声で―――
「グレイさんとアネットさんの子供がもうすぐ生まれそうなんですってば〜!!」
「分かったから、あと三分だけ…………え?」
―――――頭が覚醒した。
フェザリアンの血が流れているにも関わらず飛べない私にとってはかなり利用しているトランスゲート。
公共交通機関と言っていいのかは分からないが、この機械には感謝している。
歩いたら数日かかる距離をほんの一瞬で行けるのだから、便利と言えば便利。それは間違いない。
ただ、一つだけ不満を言うとしたら。
トランスゲートが設置されている場所について…だろうか。
吹き曝しの場所だったり、町の入り口だったり、一番問題なのは研究所の中だったり。
トランスゲートセンターとか作ってほしいと切実に思ったりする。
「この場合、不機嫌になるのは変な事だと思う?ラミィ」
「えっと〜……しょうがないことと……思ったほうがいいような気がしないでもないと思います〜…」
幸いにして惨事には巻き込まれなかったのものの、酷い有様の研究所を見てため息をつき。
その中心にいる懐かしい人物を見て懐古しながらもため息をついた。
その人物は髪を少し焦がしてこちらを見ている。
何らかのリアクションを取られる前に先手を打つことにした。
「もし後もうちょっと早くここに飛んでいたら爆発に私達も巻き込まれていたかもしれないけど…
そのことに関して言うことは?」
「爆発ぐらい別に珍しいもんじゃないじゃろ」
これだけ研究所の机や紙やらを焦がした爆発物が入っていたはずなのに、なぜか割れていない試験管を持ちながら。
彼、ビクトルは優しく笑った。
「久しぶりじゃの、モニカ」
「そうね、ビクトル」
その表情は、新世界に行ってしまったおじいちゃんに似ていた気がした。
--------------------------------------------------
「そろそろ生まれるんでしょ?様子を見に行かなくていいの?」
「ワシが行っても行かんでも生まれるもんは生まれる。案ずるより生むが易し、じゃ」
「客観的ね」
「経験者は語るというやつじゃ」
そう言えばビクトルは妻子がいたと前に聞いた。過去形なのはすでに亡くなっているから。
なら自分の子供が生まれたとき、ビクトルはうろたえたのだろうか。見てみたい気もする。
「自分の子供が生まれたときもワシは冷静じゃった…と思うぞ」
「まだ私何も言ってないのに」
「表情に出とったぞ。感情が分かりやすくなったのぅ」
ビクトルが研究所を掃除しながら楽しそうに笑う。少し恥ずかしい。
片付けの手馴れ具合から言って、頻繁に爆発しているのかもしれない。
手持ち無沙汰なので手伝うことにした。
ラミィは……爆発物が入っていたはずの試験管をマジマジと見ていた。
お願いだから、手を出してまた爆発なんてことはしないでほしい。
「…なら、今まさに自分の子が生まれようとしているグレイは?」
「あー……見ていて心配になるほどうろたえとるぞ。ワシとは大違いじゃ」
流石にその言い方は酷い気がする。
我が子が生まれる時親はうろたえる…と思う。私にはまだ親の感情は理解できないけど。
私の両親はどうだったのか気になったけど……頭の中にお父さんがうろたえているシーンが容易に想像できた。
全く違和感が無い。むしろその時の光景を今見ているような感じだった。
案ずるより生むが易し。その通りかもしれない。何しろ母親がアネットなんだから。
「研究所を出てすぐの一番大きい病院じゃ。すぐにわかるはずじゃて。行ってみるといい」
見ていて心配になるほどうろたえている父親がいるはずだから、と笑う。
私は集めていた吹き飛んだと思われる紙の山を焦げた机に置いて、ラミィを肩に乗せた後病院へ向かった。
――――そして父親を見て、ビクトルの言うとおり心配になった。
うろたえているというか、顔面蒼白で廊下を行ったりきたりしてブツブツと小声で何かを呟いている。
そして時々足をもつれさせてこけそうになる。用意されている椅子に座る。貧乏ゆすりをする。
すぐに立ち上がり廊下を行ったりきたり。エンドレス。
流石に見ていられなくなり、私は声をかけた。
「ねえ」
「……」
反応なし。自分の世界に入っているようだ。
「…グレイ?」
「…」
再び反応なし。
肩のラミィに視線で強硬手段に出てもいいか訊ねた。
しぶしぶといった表情で頷かれたので、とりあえず。
ゴツっ!!
「いっ――――!!!」
腹が立つほど――訂正、心配になるほどうろたえている彼の脛を思いっきり蹴った。
「久しぶり、グレイ」
挨拶した相手は悶絶していた。脛を抱えて。そしてその後私を睨む。
顔のパーツは同じなのに、表情は『彼』とは少し違う気がした。
中の魂の問題なのか、それとも私の見方の問題なのか。
「…て、てめぇ……久々の挨拶かこれか?」
「普通に挨拶したのに気づかないからよ。自業自得」
「俺は今考えごとをしていてだな」
「父親であるはずのあなたがそんな風にうろたえてたら、アネットが心配するわよ」
私を睨んでいた瞳が『アネット』の単語を聞いて下がった。
そして再びうろたえモードに入ろうとする。
いや、少し違うかもしれない。
グレイの目から感じる感情は…困惑?違う…迷い?
「アネットとケンカでもしてるの?」
「モ、モニカちゃん!デリカシーがないですよ〜!」
自分でも思ったけど、それを改めて言われると傷つく。
だけど、グレイみたいなタイプは粗治療の方がいい気がした。
それに回りくどく言うことが私自身あまり好きではないし、なによりそう言ったらグレイが理解できそうに無い気がした。
これもラミィに言ったら『失礼ですよ〜』といわれることは目に見えているのでやめておく。
「んなわけないだろ。ただ…」
「ただ?」
相談しようと開いた口を、急いで閉じて彼は考え込んだ。
「…お前みたいな子供に話してもしょうがない」
反論したくなったが、それは押し留める。
前に『彼』に子供と言われて反論したら『反論するところが子供っぽいんだよ』と言われたことが脳裏に過ぎった。
グレイの外見が『彼』のそれと同じだからだろうか。
話している数分の間に『彼』の事をいつも以上に思い出す。
「……確かに年齢的に言えば私はグレイより子供だけど、今の状況で言えば私はグレイより客観的で冷静な意見を言えると思うわよ」
「……………かもな」
「なら、何で迷ってるの?理由は?」
グレイが目を見開いた。『お前はエスパーなのか?』という視線が刺さる。
…きっと分かりやすい表情ってこういう事を言うのだと思う。
「一人で迷うより、話したほうがいい事もあると思うわよ。無理にとは言わないけど」
「………俺、さ………これでいいのか?」
何がどうしてそういう結論に行き着いたのかがさっぱり分からない相談だった。
「子供が生まれること、嬉しくないの?」
「嬉しいに決まってるだろ!俺とアネットの子だぞ!?
贅沢言うならアネットに似た娘がいいけど。娘ってことは確定しているけどな」
しまった、惚気られた。
この調子だと、その子が結婚する時なんかグレイは相手を絶対に許さない気がする。
親バカ。そんな単語が口から出そうになった。押し留める。
……耳元で、ラミィの声でその単語が聞こえた気がしたけど気のせいと思うことにした。
「じゃあ、何で迷ってるの?」
「……父親が、俺でいいのか…?」
「え?グレイの子じゃないの?」
「俺の子だよ!!俺の子じゃなかったらシャレになってないだろ!!」
しー、と私は人差し指を立てて声を抑えるように示した。声が大きすぎる。病院なのに。
そもそも、グレイは何を言いたいのか分からない。
話のつじつまがあっていないのか、それとも上手く言語化できていないのか。
「グレイ、お願いだから分かるように言って」
「だ、だからな…………生まれてくる子供は、俺が父親で幸せなんだろうか…と」
「どうして?」
「………俺が……」
アサシンだったから、と小さな声が耳に届いた。
空気が一瞬で凝固した気がした。
呼吸が止まる。
「たくさん、俺は殺したんだ。世間一般では悪人と言われる人を。でも、その人たちにも家族がいた。
父親もいた、母親もいた、子供もいた。それでも俺は殺したんだ。たくさん、命を奪ったんだ。
そんな俺が……親になっていいのか…」
最後は疑問系でもなかった。自分自身に確かめているのか、本当に小さい呟き。
「俺は幸せになっていいのか…こんな手で新しい命を…自分の子供を育てていいのか…
命を消してきた俺が、今度は命を紡いでも…いいのか…」
グレイが両手を見ながら震える。グレイの目には血が見えているのかもしれない。
私は視線を向けた。アネットがいる分娩室へ。
つられてグレイも視線を向ける。
「…親になるための資格を決めるのは親自身じゃないわよ、きっと」
誰だって不安だと思う。そう、お父さんやお母さんだって不安だったはず。
「今生まれようとしているあなた達の子供が、あなた達を選んだんだから」
私には今両親はいない。だけど、今なら本心で言える。
お母さん、お父さん、あなた達の子供でよかった。生んでくれてありがとう。
そう本心から思えているのに、もう本人に言うことは出来ない。
「だから、あなた達の子は生まれようとしている。グレイとアネットなら大切にしてもらえると思ったから。
…グレイは、子供の幸せを願ってるんでしょ?」
「当然、だろ」
「だったらグレイ自身が幸せだって思わないと。幸せじゃない人が他人を幸せになんて出来るわけないわ」
「……………そうだな……ありがとう」
予想外の言葉に一瞬呆然とした。
グレイもそのセリフを言うことに抵抗があったのか、それとも私の反応が気に食わなかったのか。
「…なんだよ、その目は」
「グレイの口から『ありがとう』なんて言葉が出るとは思わなかったわ」
「てめぇ…人が素直に感謝してんのに……ん?」
急に周りが慌しくなった。
看護師の会話から『バーンズさんが』という単語が聞こえる。
「生まれそうなんじゃないの?」
「た、たぶん…ど、どうすりゃいいんだ?」
「……そういえば、何で分娩室にいないの?付き添ってなくていいの?」
「訳もわからず付いていこうとしたらアネットに『付いてくるな!』と殴られた」
元気すぎるわアネット。恥ずかしいのかもしれないけど、何も殴らなくても。
耳元で『さすがアネットさんですね〜』とラミィの声。それは褒め言葉?
「案ずるより産むが易し…必ず元気な子を産むわよ。アネットなんだから」
「…そうだな、アネットだし」
……自分で言っておいてなんだけど、褒め言葉のはずなのに褒め言葉に聞こえない。
隣ではグレイがそわそわと落ち着かなくなっていた。
だけど視線に迷いはない気がした。きっと大丈夫。少しは父親の顔になっているから。
「…私は外に出ておくわね」
「え、何でだ?」
「二人の邪魔しちゃ悪いから」
「別に気にすんなって。アネットもきっと会いたがってるだろ」
「落ち着いてからまた来るわ」
生まれる前からあんな状態なら、生まれた後なんてきっと周りの事は気にせずにアネットに付きっきりになると思う。
だとしたら私はお邪魔だと思う。
今日の昼過ぎ辺りにもう一回行ってみよう。少しは落ち着いている…はず。
「でも、まだ二人の世界を作ってるかもしれませんよ〜」
「二人じゃなくて三人に増えてるはずよ、きっと」
「わ〜、モニカちゃん部屋に入れますか〜?」
……無理かもしれない。
その場合は夜――は止めておこう。疲れているだろうし、何となく止めておいた方がいい気がする。
「グレイさんもアネットさんも、親バカになりそうですよね〜」
「幸せならいいんじゃない?」
病院の方から『よく頑張ってくれたアネットー!!』という雄たけびが聞こえた。
その後『ちょ、ちょっと!病院では静かにして!!ほら、早く離れて!!』という嬉しい悲鳴も。
生まれた子供の泣き声をバックミュージックにして。
「…子供も幸せ者よね」
羨ましさ半分。それと微妙に皮肉を混ぜて呟いた。
ラミィも『ですよね〜』と呟いて。
お互い、顔を見合わせて笑った。