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じゃあそれは予約で


しゃっしゃっしゃっ……

画用紙と鉛筆が擦れる軽い音が心地よいリズムで繰り返される。
何をしているのだろうと薄目を開け、顔を上げる。

「起こしちゃいましたか、ヴィンセントさん」

スケッチブックを広げた少女も彼が動く布ずれの音に鉛筆を動かす手を止めた。

「何してるんだ」

声が低いのは目が覚めてから間もないため。 彼は寝起きがいい方とは決して言い難い。
普段から寡黙で必要以上に口を開かない。
だが起きたばかりの状態ではそれを輪に掛けて無口になる。
その時に発せられる声は普段のものより幾分低く、
知らない人が聞けば機嫌が悪いのだろうと勘違いするのは必然的な事である。
これは自他共に認める事実ではあるが、別に苛立っているからではないと本人は言う。
それを知っているから少女も怒られるのではないかと身構えることなくいつも事だと軽く受け流した。

「何って……見て解りませんか」

手にはスケッチブックと普段使うよりも濃い目の黒い鉛筆。
机の上には少女の自慢の持ち物である48色の色鉛筆が並んでいる。

「解っているから聞いているんだ」

目覚めたばかりとはいえ頭は働いている。 絵を描いているのだろうとすぐに理解した。
が、描いている内容までは思いつかない。
机の上には先に述べたとおり色鉛筆と冷えたお茶が入った二人分のグラスだけ。
スケッチ用の花が飾ってあるわけでもない。
服が脱ぎ捨ててあるわけではないが生活臭がする程度に散らかっている部屋の中を
絵に収めるのは描く方も面白くないだろう。
そうなると残っているのは……

「おい、まさかミシェール……」

再び声色が位置オクターブほど下がる。今度は起きたてだからではなく、意識的にだ。

「俺の寝顔なんて描いてないだろうな」

ずいっと身を乗り出してミシェールに迫り、眼孔を鋭くして睨め付ける。

「そのまさかって言ったら……怒りますか」
「当然だ」

昨日の部活がハードだったとはいえ、ミシェールと二人でいる時に居眠りしたのは悪いと認める。
だが、だからといって寝顔を描いていいとはならないと思う。

「あっ、待ってください。それ、どうするんですか」

ミシェールの隙をつくまでもなく、油断しきっている無防備な両手からスケッチブックを引ったくり、没収する。

「破いた後焼却する」
「ひどいですよ。久々の力作なんですよ」

取り返そうと必死に手を伸ばしているがそうさせないよう片手で軽くあしらう。
掌で頭を押さえつけると可愛いうなり声を立てながら両腕をばたばた動かして藻掻いていた。

「それに描きかけだから返してください」

まだ色鉛筆に蓋がされているのは少女の言葉通りまだ途中で、恐らく鉛筆描き程度しか終わってないのだろう。
少女の絵は美術部で出すコンクール絵画でも賞を何度か取っている位の腕前と
少女の兄である彼の友人から聞いたことはあるが、その絵をじっくり拝ませてもらったことは一度もない。
理由は単純。少女が下手だからと恥ずかしがって見せてくれないのだ。
どんな絵を描くのか一度見てみたい。
それはずっと興味があったことだし、この少女が自分の姿をどんな風に描いてくれているのかそれが一番気になった。
まさか教科書にする落書きのような絵ではないとは思うのだが……

「もし素直に返したら描き上げたら見せてくれるのか」

スケッチブックを目の前でちらつかせ、少女の手が伸びる前にさっと届かない高さに手を上げる。

「もちろん見せません」
「ならこのまま捨てる」

即答できっぱりと否定されたのでそのままそれを背中の後ろに隠すようにミシェールから遠ざけた。

「意地悪ですね……そんなヴィンセントさん、嫌いになっちゃいますよ」
「嫌いで結構、それに寝顔を覗き見するのに比べたらまだマシだと思うのだが」
「見せる方が悪いんですよ」

眠いのは生理現象の一つだから仕方がないと反論するが一緒にいる時に寝るからいけないのだと却下される。
本気で嫌がっているようだから返そうかと考えるが、それよりも好奇心の方が強い。
だが少女に嫌われるのと引き替えにしてまでは見たくなかったし、
ミシェール相手に本気で悪に徹する事が出来るほど彼は強くない。

「仕方ないな……ほら」
「ありがとうございます」

結局、一度も開けないままそれを少女の元へ戻した。
ミシェールはそれを受け取るとすぐに開き、ヴィンセント側からは見えない彼の絵を嬉しそうに見つめる。
正直、絵にミシェールを取られたようで面白くなかったがものを相手にやきもち妬くのも馬鹿馬鹿しく、
苦虫を噛みつぶしたような表情で机に肘をつく。

「それで相談ですが……」
「何だ」

大人げなくふて腐れているなと思いつつもぶっきらぼうな返事になる。

「これ、最後まで完成させていいですか」
「……勝手にしろ」

はい、と元気な返事をしたかと思ったら少女は絵を描くのに没頭していた。
楽しそうに鉛筆を白い紙の上で走らせているミシェールの表情はどことなく生き生きしていて、
本当に好きなんだなと見ている側にもよく伝わってくる。

「ねえヴィンセントさん」

描きながら少女は彼に話しかける。

「この絵は見せられませんけど……今度自画像を描いたらもらってくれませんか。あまり上手くありませんけど」

「ああ。楽しみにしてる」

再び部屋の中は鉛筆を使う小さな音だけになる。
必死な顔つきで白画用紙と格闘しているミシェールを観察するのはこれはこれで面白い。

絵が完成するまで、もうしばらく時間がかかりそうだ。